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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】 仲野 茂 (ANARCHY / ゲタカルビ)(2006年1月号)-今「ノット・サティスファイド」を唄っても、あの頃よりも格段にパワーアップしてるつもりだよ

今「ノット・サティスファイド」を唄っても、あの頃よりも格段にパワーアップしてるつもりだよ

2006.01.01

 アナーキーのヴォーカリストとして日本のロック史にその名を刻み、ARBのKEITHと並んで往時の新宿LOFT深夜の総番長として数々の伝説を残した仲野 茂。デビュー26周年を記念して発表されるアナーキーBOXセット『内祝』、21年振りに集まったオリジナル・メンバーによる新曲の誕生秘話、あらゆる事象がセグメント化する昨今において自主企画イヴェントという"祭り"をやる意義についてなど、笑いのオブラートに包みながらも真摯かつ縦横無尽に語ってもらった。(interview:椎名宗之)

ヨボヨボになろうが屁でもねぇよ

──今回のアナーキーBOXセットを発表する経緯から聞かせて下さい。
 
仲野:本人達としてはそういう節目みたいなものは感じてないフリをしてるけど、実はいつもあるんだよね。自分達に余り意志がないというのもあるんだけど、まぁ、ルースターズのBOXセットが売れたことも関係してるんじゃないの?(笑)
 
──ファンとしては、やはりオリジナル・メンバーによる21年振りの新曲というのが気になるところなんですが。
 
仲野:最初は、ドラムのコバン(小林高夫)が暴走して「アルバムを1枚作るか?」なんて壮大な計画を企んでたんだけどね。で、いざ新曲を作るってことになって、「やっぱりアナーキーは“詩”だよな」なんて無責任なことを言うヤツがいてさ、俺の“詩”待ちでずーっと延び延びになってたんだよ。
 
──アナーキーとしての“詩”を生み出すモチベーションは、どう上げていったんですか?
 
仲野:最初は何も出てこなかったね。(藤沼)伸一も曲を作ってきて、時間も押し迫ってきたところで、今までアナーキーが発表してきた歌の歌詞を切り貼りすることにした。それも、なるべく意味がないようにしてね。っていうのはさ、その前に書いた詩がボツになったんだよ(笑)。そのボツになった詩が、全部ではないんだけど新曲のタイトルになったんだ(「上には上があり下には下がある そんな所で生きている 絶望なのか希望なのか どうでもいいさ そんなこと 今こそ無政府状態 アナーキーワールド ワイルドな世界を望んでいる 俺たちから何一つとして 奪い取れるものか お前たちのワイドな世界に エネルギーを撒き散らす 受身は弱者の成れの果て 股を開いて何を待つ」)。アナーキーとして出した曲の中で一番タイトルが長い。最初にミーティングを開いて、「今まで書いたことのないラヴソングを書いてやる!」って俺も意気込んでチャンレジしたんだけど、それもボツになってさ。もうみんなに大顰蹙を買ったんだよ。それで頭にきて、歌詞をプリントアウトしたものを切り貼りして作ったんだ(笑)。
 
──オリジナル・メンバーでもう一度やる意義みたいなものを、余り重く捉えたくなかった表れなんでしょうか?
 
仲野:うん。それもあるし、なんでモチベーションが上がらないかって言うと、要するにアナーキーには未来が全然ないからなんだよ。BOXセットのためとは言え、過去の作品に新しいものを生み出すことは結構大変だなと思ったね。
 
──BOXセットには、その新曲を生み出すに至るメンバーの姿を赤裸々に追った200時間超のドキュメンタリーDVDが収められていますね。
 
仲野:包み隠さず収めてはいるけど、観る人がどう取るかだね。俺には面白いのかどうか判らないよ。アナーキーはさ、開けっぴろげで正直なバンドだと自分でも思うわけ。BOφWYみたいに恰好つけるようなバンドじゃないから。そんな俺達のありのままの姿を、アナーキーに強い刺激を受けたという太田達也(このBOXセットにも収められている8mm映画『ノット・サティスファイド』の監督)が撮ってるんだ。メンバーの悪口とか、もう平気でガンガンに入ってるからね(笑)。
 
──それは生々しいですね(笑)。
 
仲野:でも、そうしてすべてを包み隠さずに見せてきたバンドだからね。だからこそアナーキーは音楽ファン以外にも物書きやら俳優やらあらゆる表現者から支持されてきたと思うんだ。ただ、このドキュメントにはオチがないんだよな。ルースターズにはフジロックっていうオチがあったけど、俺達にはないんだよ(笑)。でも、元々何でもありのバンドだし、それでもいいかなって思った。
 
──単純に、もう一度アナーキーをやることに抵抗はなかったですか?
 
仲野:それは全くないね。恰好よく言えばさ、アナーキーは自分達の財産なわけだよ。それをどう使おうが俺達のものであり得るわけで、こうしてまた集まって、当時よりも歳を取ってしょぼくなったりヨボヨボになったとしても、俺は屁でもねぇと思ってるんだ。仮に今「ノット・サティスファイド」を唄ったら、俺としてはあの頃よりも格段にパワーアップしてるつもりなんだよ。未だに俺、調子に乗ってるからさ。「何ならもう一回国鉄服を作り直そうか?」ってくらいだよ(笑)。今回こうして新曲が出来て、自分の中で手応えは感じてるね。アナーキーとして臨む時は俺も緊張するし、ゲタカルビとは違うギアが入れられる。何やかんや言っても、伸一や寺岡(信芳)はサウンド作りに関して優秀だと俺は思ってるから。寺岡は意外と歌に厳しくて、うるせぇなとか思うこともあるんだけどさ(笑)。
 
──精力的にライヴ活動を続けているゲタカルビは、茂さんの中でどんな位置付けなんですか?
 
仲野:ゲタカルビでは純粋に音楽を楽しんでる。やれることをただやる、悩まない、煮詰まらないっていうのが大前提。どうやったら自分達が楽しめるかっていうのがテーマだから、曲も書かない。そういう意味では、ゲタカルビは自分の中で余り表現にはなり得てないのかもしれないけどね。「とにかく唄いてぇんだよこの野郎!」って感じだから(笑)。
 
 

他のどの唄い手にも負けたくない

──LOFTで行なわれるKEITHさんとの共同プロデュース・イヴェント“1985年X月X日 西新宿LOFT”は、そのゲタカルビの特選版での出演ですね。
 
仲野:うん。小滝橋通りにあった頃のLOFTの匂いを再現したい部分もあるね。今のライヴハウスは、ただライヴをやるだけなのがほとんどだよね。音楽に限らず、今の世の中は何でも分散化の方向にあるって言うかさ。暴走族にしてもそうだけど、その集まりの中には走り屋もいれば喧嘩するのもいて、当時の俺達がそうだったように金魚のフンみたいな連中もいる(笑)。それがどんどん枝分かれしてマニアックな方向に行ってしまって、そのぶんお祭り的要素が少なくなっちゃってる気はするね。祭りってさ、俺から言わせると神輿担ぐだけが祭りじゃないんだよ。観客がいて、そこに参加もできて、グチャグチャになるようなハプニングが起きたりして、もっともっと混沌としたものなんだよね。ヘンに整理されちゃったりすると、全然祭りっぽくない。俺自身、そんなにたくさんのイヴェントを観てるわけではないけど、最近は音楽のトーンが揃っていたり、世代が近かったり、お題目のあるイヴェントばっかりじゃない? それだけじゃ面白くないわけよ。イヴェントがダラダラしてないと、ダラダラなヤツが食い込む要素がないんだよね。俺はもっと中途半端なのが好きだから、中途半端じゃなくなった瞬間に妙に小難しくなるのがイヤなんだ。
 
──そういういい意味での中途半端さ加減が、西新宿時代のLOFTにはあったと?
 
仲野:うん。ロック・カルチャーの巣窟と言うか、音楽やるヤツばかりじゃなく、舞台やってるヤツもいればライターやってるヤツもいたりとか、あらゆる表現者の溜まり場みたいなところだった。やっぱり、面白そうなところに人は集まってくるわけじゃない? そういう集まれるオープンな雰囲気があの頃のLOFTにはあったと思う。
 
──アナーキーとして初めてLOFTに出演した時のことは覚えていますか?
 
仲野:覚えてるよ。もうデビューした後だったから。まだ国鉄服を着てない頃でさ、東京ロッカーズのイヴェントに出たのが最初だったと思う[註:1980年2月15日に行なわれた“Gap New Wave”にS-KEN、螺旋、Non Bandと共に出演]。その頃はもう、東京ロッカーズもリザードやフリクションといった主要なバンドが抜けた後で下火になっていたけど。LOFTに出たら出たで、「パンクのくせに何でメジャーなんだよ?」って客からブーブー文句言われたんだけどさ、その頃は俺、メジャーの意味がよく判らなかったんだよ(笑)。だって完全な無知集団だったんだから。LOFTに出る前に江古田のマーキーに出た時も、どうやって出たらいいのか知らなかったから直接店まで訊きに行ったんだよ。そこに出るのにまずテープを作ってこいって言われて、和光市民会館でラジカセで録ったんだよ(笑)。最初からLOFTに出たかったけど、その時はまだちょっと荷が重かったんだよね。アナーキーの結成当初にお題目が3つあって、それはまずLOFTに出ること、(内田)裕也さんの“ニューイヤー・ロック・フェス”に出ること、日比谷の野音でライヴをやることだった。だからやっぱり、初めてLOFTに出られた時は嬉しかったよね。
 
──そしてLOFTの常連となり、打ち上げで数々の伝説を生み出して…(笑)。
 
仲野:出し物合戦だったからね。俺達は結構まとまりが良くて、5人でドン!と見せることが多かった。“飛脚”と“ハヤブサ”っていう技を持っていて、それを合体させた“飛脚ハヤブサ”ってバンドで演奏したこともあるよ。KEITHは必ずフルチンになるし、(石橋)凌は打ち上げの後半になると決まって久留米音頭を唄い出す(笑)。
 
──LOFTがドリンクを紙コップで出すようになったのは、アナーキーがグラスを割りまくったからだと聞きましたが(笑)。
 
仲野:間違いなく俺達が原因だろうね。『爆裂都市〈バースト・シティ〉』の完成打ち上げで、スターリンが演奏してる時に俺達はグラスをガンガンに投げ付けて、ステージがガラスで埋まっちゃってさ。グラスも全部投げて、ボトルも投げて、最後は折りたたみのイスまで投げ付けたからね(笑)。単純に自分達が映画に出られなかったことへの恨みだったんだけど、それなのに打ち上げに参加して、出られなかった恨みを監督の石井聰亙じゃなくスターリンにぶつけていたという(笑)。喧嘩もよくしたけど、とにかく居心地が良かったよ。LOFTに行けば誰かしらそこにいたしね。「これから行くから」ってLOFTに夜中に電話して行って、内側からカギを掛けられたこともあるけどね。そっと耳を澄ますと、中からジャラジャラジャラ…って麻雀の音がするんだよ(笑)。
 
──改めて、この26年間を振り返っての率直な心境というのは?
 
仲野:器用な唄い手でもねぇのに、よくここまで来たなっていうのは感じるね。やっぱり俺には歌しかないし、それを取ったら何も残んないから。今度の“1985年X月X日 西新宿LOFT”に出てくれるどの唄い手にも負けたくねぇと思うし。それがずっと俺の中で基本だからね。まず自分がいい歌を唄わないとイヴェントもいいもんにならないし、おこがましいことを言えば、それに他のミュージシャンが触発されたら嬉しいよね。俺が理想とする祭りを、お客さんも出演者も理屈抜きに楽しんでくれたらいいなと思うよ。
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