Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】MOST(2003年3月号)- 捨て身で音楽と向き合う徹頭徹尾真性パンク

捨て身で音楽と向き合う徹頭徹尾真性パンク

2003.03.01

今や伝説的なあのAunt Sallyを起点として、ソロ、NOVO TONO、Phew Unit、Big Pictureと様々な音楽的変遷を辿ったヴォーカリスト・Phewが山本精一らと結成したパンク・バンド、MOST。"パンク"という言葉が安易に消費され、その上澄みだけを掬い取るようなスタイルやファッションとしてのパンクスが跋扈する昨今、本来パンクが持ち得た精神を澱みなく伝える彼らの存在は実に貴重だ。真のパンクとは? その答えはMOST主宰のライヴ〈MOSTNOTORIOUS〉に足を運べば一目で判る。(interview:椎名宗之)

名のあるバンド以外にも目を向けてほしい

──かれこれ12回を数える〈MOSTNOTORIOUS〉ですが、そのコンセプトとは?

Phew:一言で言えば、今の状況を表しているようなイヴェント。メジャーもインディーもなく同等に、世代も超えて、パンクという括りのなかで“今”を表していきたいんです。一番最初は高円寺の20000VでMAD3、BORIS、U.G MANとやって、もう2年以上になりますね。

──あぶらだこやブッチャーズ、NUMBER GIRLや54-71に至るまで、これまで共演されてきたバンドはどれも一本筋が通 っている個性の強い面々ばかりですよね。対バンに一貫したものを感じると言うか。

Phew:だから音楽性じゃないんですよね。“パンク”なんて今は凄く広い意味で使われてますけど、私は同時代にパンクを体験した世代として「何がパンクか?」と言えば、ひとつはスター・システムみたいなものを否定すること。それとやっぱり、音楽に対する姿勢と言うか、捨て身で音楽と向き合うということ。それがこれまで出演してもらった人たちに共通 する部分だと私は思ってますね。商業的に成功しているバンドの人たちでもそういうことをこだわりなしに喜んでやってもらえたり、それは非常に嬉しいですよ。

──対バンのチョイスはPhewさんご自身が?

Phew:そうですね。あと、他のメンバーの意見を汲んだり。今回出演してもらうECHOは、私はライヴを観たことがなかったんですけど、ドラムの茶谷(雅之)君がライヴを観て「凄い良かった」って言うんで、CDを買ってみたら確かに凄く良くて。それでお願いしたんです。

──今回の〈MOSTNOTORIOUS〉も対バンが絶妙ですよね。BRAHMANとECHOというバランスが。

Phew:接点が少なければ少ないほどいいんですよ。仲間内で固まるのは絶対にやっちゃいけないと思ってるんです。それは過去に自分たちでやってきた反省点でもあって。それと、例えばBRAHMANを観に来た200人のファンが、10人でも20人でもいいからECHOを聴いて“他にもこんなに恰好いいバンドがいるんだ”ってことを判ってほしいんです。今の傾向として、何組も出るライヴでもひとつのバンドに集中しちゃいますよね。若い人は既に名のあるバンドにしか興味がないと言うか。そこを本当にささやかですけど変えていきたいんです。それは私たちバンドだけでできることじゃなくて、今回お世話になるロフトのスタッフやスマッシュの方ですとか、なるべく大勢の人を巻き込んで作っていきたい。何か大きなムーヴメントを作り上げるとか、そんな大きな野望はないんですよ(笑)。〈MOSTNOTORIOUS〉も、目標は1,000人程度の動員数でいいんです。最初は20000Vで200人くらいの所でスタートして、今はやっと500人くらいにはなったかな、って(笑)。

──確かに馴れ合いはよろしくないと思いますが、同じ接点を持つ者同士から生まれた“東京ロッカーズ”のようなムーヴメントもありましたよね。

Phew:ええ。確かに“東京ロッカーズ”も70年代後半とか80年代の初めなら有効だったと思うんですよ。でも、今のこの時代にそれをやっても何の意味もない。友達同士で集まってライヴをやるなら、別 にお金を取ってライヴハウスでやる必要はないですよね。だから、今やっていることが一番大事なんです。今の状況をしっかりと伝えて、且つ音楽的にも面 白いことをやりたいというところで未だ模索中ですね。

──MOSTの音楽からも“今を伝えるんだ”というギリギリの切迫感を感じますよ。

Phew:ええ。ただどうなんでしょう、やっぱり中年のやる音楽だなと思いますけどね(笑)。でも、音楽性みたいなものはもう余り重要じゃないんです。その日の気分によっても変わるし。アーティスト個人として考えるなら一番大事なことなんですけど、私たちはお客さんに聴いてもらわないと成立しないバンドだから、その接点を常に探っていかないといけない。かと言って、今巷に氾濫しているような音楽はとてもじゃないけど自分たちにはできない。それは嫌いというわけじゃなくて、自分たちのなかにはないものなんですよ。だから凄く難しい(笑)。

──新曲はライヴでも披露されていますが、セカンド・アルバムのご予定は?

Phew:曲を溜めているところで、4月くらいにレコーディングして、夏までには出来ればいいなと思ってます。ファーストよりはもっとポップになる可能性がありますね。集まってリハをやるのがなかなか大変ですけど。

今も根底にあるパンクの精神

──MOST以外の話になりますが、Aunt Sally時代のライヴ音源が発売されたり、唯一のオリジナル・アルバムが昨年やっとCD化されたりと、今再び過去の作品が脚光を浴びていますが、Phewさんご自身はどう感じていらっしゃいますか。

Phew:あれが例えば10年くらい前なら絶対に出したくなかったんですけど、20年以上経つと距離をもって自分が関わったことを見ることができるんですね。だから今なら出してもいいかなと。自分としてはずっと消したい過去だったんですけど、これだけ時間が経ってようやく評価することができました。けれど、去年『Aunt Sally』がCDになった時に一度聴いてみましたけど…やっぱり辛い作業でしたね(笑)。

──確か『Aunt Sally』が再発された時に「あのレコードは日本全国を廻っても買い戻したい」と仰ってましたよね(笑)。

Phew:そうですね(笑)。あれは要するに音楽性云々じゃなくて、あの頃の自分を思い出したくなかったと言うか。18~19歳の頃は恥ずかしいことも一杯しましたからね(笑)。そんな個人的な理由で。

──MOSTやBig PictureなどでPhewさんを知った若いファンは過去の音源を聴きたいと思うだろうし、特に『Aunt Sally』はずっとCD化されなくて中古レコード屋で法外な値段で壁に掛かってましたから(笑)、CD化は有意義なことだと思いますよ。

Phew:そう、レコード屋で高い値段が付いているのも不本意だったんですよね。わざとそうしているわけじゃなかったし。それもあって(CDとして)出したところもあるんです。去年あたりから80年代の音楽がまた見直されてますけど、当事者としては凄く複雑な気持ち(笑)。今もやってるのにね。

──今や伝説として語られることの多いAunt Sallyですけど、ご本人としては当惑されていますか。

Phew:当惑と言うか、関係のないことですね。もう終わったこと。“Bikke(Aunt Sallyのギター)は当時からいい曲を作ってたな”と改めて思いましたけど。

──Phewさんは1977年にロンドンへ渡ってパンク・ムーヴメントを直に体験されてますよね。それが今も原点としてありますか。

Phew:いや、反面教師ですね(笑)。イギリスのパンクって2年でなくなっちゃったじゃないですか。(セックス・)ピストルズも解散して、すぐにヘヴィ・メタルのブームが来た。当時のイギリスのパンク勢は「全部の音楽シーンを変える!」って大きく出て、実際に一瞬だけど変わった。でもすぐにまた元に戻ってしまった。私はそんな大きなことは思ってなくて、1,000人単位 のキャパで細々ながらも音楽を続けたいんです。

──Big Pictureのほうは現在小休止ですか。

Phew:ええ、あれは打ち込みものなのでライヴで再現するのは難しいですし。今は音楽の聴かれ方も随分と変わってきましたけど、これから20~30年経ってもMOSTみたいな生バンドや〈MOSTNOTORIOUS〉に出てもらったバンドは絶対に残ると思うんですよ。CDを聴いた人はやっぱりライヴを観たいと思うから。打ち込みものはわざわざライヴハウスへ足を運ばなくてもいいんじゃないかと。

──Phewさんの軌跡をまとめた『phew video』を観ると、本当に多種多様な音楽活動をされてますよね。山本さんとのフォーク・デュオもありましたし。

Phew:ただ、基本的にパンクのアティテュードが一番根っこにはありますね。さっきも言いましたけど、音楽に対して捨て身で対峙するという姿勢、それとスター・システムを否定する……まぁ、それも随分と古い言い方ですけど(笑)。

──今後、MOSTでの音楽以外でやってみたいジャンルは?

Phew:あるんですけど、やっぱりしばらくはMOST中心でいきたいですね。ヴォーカリストがいろんなユニットをやってると印象が散ってしまいますし。アコースティックな感じのものをたまにやりたいと思いますけど、今は我慢してます。あと、今主流のヒップホップはダメなんですけど、自分なりに解釈したヒップホップはいずれやってみたいですね。

休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻