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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】みのわひろお(2001年11月号)- ストリップは本音の世界。だってみんなスッポンポンなんだから(笑)

ストリップは本音の世界。だってみんなスッポンポンなんだから(笑)

2001.11.09

 終戦間もない昭和22年、甲斐美晴による「額縁ショー」で幕を開けたストリップは、その後、入浴ショー、残酷ショー、レズビアンショー、花電車など、常に斬新なアイデアで多くの観客を獲得し一大娯楽産業に成長していった。「神の肉体」を持つジプシー・ローズ、「昭和御三家」の一条さゆり・桐かおる・浅草駒太夫をはじめ、清水ひとみ、美加マドカ、桜樹ルイ、など多くの有名ストリッパーを生み出し、今も時代を象徴するたくさんの女性が活躍している。この華やかな舞台の裏で、記者として、また舞台演出家として40年間以上ストリップを見続けてきた、いわば「ストリップの生き証人」──それが今回取り上げるみのわひろお氏である。氏がロフトプラスワンで定期的に開催するトークライブは、気軽に入れるストリップ居酒屋として大好評だ。未見の人は是非一度来てみるといいだろう。なんたって、居酒屋料金でストリップが観れるんだからね。特に、ストリップを一度観てみたい女性のお客さんにはうってつけです。[文:加藤梅造]

一番好きになったのがストリップだった

──みのわさんは、なぜストリップ記者になったんですか?

みのわ:僕はもともと、今はもうなくなった毎夕新聞という所で新聞記者をやってたんです。その時上司にトルコロジストとして有名な広岡敬一さんがいて、その広岡さんに「おまえストリップの取材してこい」と言われて、それ以降ストリップの世界に入ったんです。その頃ストリップの記者は僕を含めて日本に3人しかいなかったんです。それから10年ぐらいたってからですね、ストリップがワーっと盛り上がったのは。

──ストリップのブームがきたんですね。

みのわ:そう。ストリップ界にアイドルが出てきたんです。それまでは、どっちかっていうと黄昏た熟女が主流だったんだけど、お客さんが減って困ってたんです。そこで僕は「これは若い子を入れるしかない」と思って、地方からいい子を探してきて、当時渋谷にできたばっかりの道頓堀劇場にアイドルスターを6人出したんです。それがマスコミで話題になって一気にお客さんが増えたんですね。もっともその後ストリッパーがアイドルばっかりになっちゃって、これはちょっと計算外だったんだけど。

──記者になってからストリップにハマったんですか?

みのわ:僕は、ストリップの記者になる前は、舞台や映画、放送、あと音楽関係の記者をやってたんです。こんなにいろいろやってて、みんなにバカじゃないかと言われてたんだけど(笑)。でも一番好きになったのはやっぱりストリップだった。

お金がなくてごはんが食べれないからじっとしてる

──それは何故?

みのわ:わかりやすくいうと、本音の世界だったから。今でも憶えているのは、以前、大映の大女優・山本富士子さんと親しくしていて、よく楽屋に遊びに行ってたんだけど、その頃僕は浅草のストリップ劇場にもよく通ってたんです。いわば、芸能界の頂点と底辺を往復してたんです。で、その時、僕はどっちにシビレたかというと、ストリップ劇場の楽屋だったんです。前に記事でそう書いたら、お富士さんに怒られちゃったけど(笑)。

──ストリップ劇場の楽屋ってまさに女の世界って感じですね。

みのわ:そう。だってみんなスッポンポンなんだから、本音の世界に成らざるを得ないよね。特に昔のストリッパーは、裸一貫女手ひとつで一家を支えてた人が多かったから、それはすごい世界でしたよ。ある時、昼間楽屋に行くと、ある女の子が一人でボケーとしてるから「何やってんだ?」って訊くと「お金がなくてごはんが食べれないからじっとしてる」っていうんだ。そんな時は僕もカッコつけてサイフごと彼女に渡したりしてたけど。まあそんなことはしょっちゅうありましたよね。

──それだけ深くつき合ってるといろんなトラブルに巻き込まれるんじゃないですか?

みのわ:まあ、トラブルったって、2、3回ぐらいしかなかったけど(笑) 昔はヤクザやさんがヒモになってることもあったから。だから、踊り子さんといい関係になることはあっても、必ず一線を引いてましたよ。時々、この世界をよく知らないカメラマンが踊り子さんと深く関係しちゃって後で非道い目にあったなんてこともあったけど。もっとも今はそういうこともなくなりました。

──ヒモみたいなのはいないんですか?

みのわ:今は家族を支えるとか男を食わせるストリッパーっていうのはいないね。稼いだお金は全部踊り子さんのもの。楽屋も男子禁制ですよ。もっとも僕は入っちゃうけど(笑)

レッスンしないと絶対に舞台に立てない

──みのわさんがロフトプラスワンでストリップのトークライブを企画するようになったきっかけは?

みのわ:知り合いの踊り子の沢口ともみが鈴木邦男さんとトークをやった時によばれたんです。僕はその時はじめてロフトを知って、これはいい媒体だと思ったんです。それであなたに「今までストリップのトークライブはやったことあるか?」って訊いたら「ない」っていうもんだから、そしたら急にやりたくなったんです。

──踊り子さんの反応とかどうですか?

みのわ:そもそも踊り子さんが人前でトークをする機会なんてほとんどなかったわけだから、最初はビビってなかなか出てくれない子も多かったけど、最近はみんなよく来てくれるようになりました。僕も昔は、踊り子さんというのはあくまで観る世界のものであって、聴く世界のものだとは思ってなかった。でも何回もトークライブをやって思ったのは、案外、聴く世界としても面白いなと思ったんです。それで今、踊り子さんのトーク番組をラジオでやったら面白いかなとも思ってるんです。これはそのうち絶対やりたいですね(註:みのわさんは以前ラジオ番組をやっていた)。

──ストリップっていうと、斜陽産業だって言う人もいますけど?

みのわ:そういうことはよく言われるんだけど、僕はそうは思ってない。結局、人間の社会なんて単純で、なんでストリップの数が減ったのかっていえば、それは風俗が増えたからなんです。その風俗もご存じの通り去年ぐらいから低調になってきている。そうすると今度はストリップがじわじわと増えだした。実に単純なことですよ。

──僕が観てて思うのは、ストリップの踊り子さんはみなプロ意識が強いですよね。

みのわ:ストリッパーっていうのは、レッスンしないと絶対に舞台に立てないですから。中には名前だけで舞台に立つ人もいるけど、長く続かない人が多いです。ストリップの基本条件──踊り、衣装、音楽、そういうものをマスターしないと続かない世界なんです。だから想像以上に厳しい世界だと思いますよ。お客さんにとっては、そういう芸の世界がわかってくると、観るのがより楽しくなりますね。だからストリップはやるのも観るのも面白いんです。

■Profile 1929年生まれ。上智大学新聞学科卒業。ストリップ界取材40年の記者。舞台制作も手がける。

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