90年代後半から電気グルーヴのサポートメンバーとして、KAGAMIとのユニットDISCO TWINSで、また多くのアーティストのリミックスなどで存在感を発揮してきたDJ TASAKA。4枚目となるソロアルバム『UpRight』がリリースされた。デトロイトテクノ、シカゴハウス、ヒップホップなど様々なクラブミュージックが鳴り響く幅の広さがあるサウンドなのだが、同時に2015年の今を感じさせる。普遍性と時代性が混在するアルバムだ。当然かもしれない。DJ TASAKAは2011年の震災以降、街に出て、様々な人達と出会い、対峙し刺激を受け、自らの音楽に昇華させたのだから。だから今を描きながら幅広いのだ。
震災以降の反原発デモへの参加、排外主義者達の差別デモのカウンターとして街に出たDJ TASAKA。街で戦ってきた彼が作る音は実にタフだ。へヴィでリアルな日常を滲ませつつ、それを飛び越えていこうとするユーモアとパワーがある。へヴィなことと対峙しているからこそ高揚感ある本作、今の日本で本当にリアルな音楽のひとつだ。
『UpRight』、今を生きる多くの人達に聴いてほしい。踊ってほしい。
(Interview:遠藤妙子 / Photo:三島タカユキ)
――新作『UpRight』は、様々なクラブミュージック、ダンスミュージックが響いてきて。デトロイトテクノ、シカゴハウス、そしてヒップホップ。集大成って言っていいぐらいの。
DJ TASAKA:そうそう、モロにそうですね。
――だから幅広くて部屋で聴いてもOKだし。
DJ TASAKA:うん。そう言ってくれる人は多くて、凄くいいことだと思います。
――同時に今の時代を反映していて。今の時代をグイッと表しているのに幅広さがあるのが素晴らしいし面白い。
DJ TASAKA:やっぱりいろいろな人との出会いはデカいですね。反原発デモやカウンターの路上で出会った人達。あと2015年だからっていうのもあるかな。去年や一昨年、新大久保に差別デモのカウンターに毎週のように行ってた頃は、CDを出すに気持ちにはなれなかった。でも2015年の今は東京では差別デモは減って、それに政権に意見するSEALDsという若い人達も出てきた。10年後ぐらいに世の中が良くなったと仮定すれば、2015年の夏って凄く大きいと思う。
――「世の中が良くなったと仮定すれば」っていう言葉、TASAKAさんらしい気がする。「良くなったら」って希望があるし信じてるんだよね。
DJ TASAKA:希望を持ってるし信じてるよ。この前、フジロックに行った時、デモや抗議にあまり行っていない知り合いに、「先細りになってるみたいだし、どうなるんだろうね」とか言われて。ちょっと待てやって話だよね。今年の夏はSEALDsをきっかけにより多くの人が声を出してる。それだけ状況は動いてるという希望がある。このアルバムは2015年の夏だからこそできたアルバムなんだよね。
――3.11以降、状況も、TASAKAさんの気持ちも変化してきたと思うけど、その変化に一つの結論を出すのが2015年の夏だった?
DJ TASAKA:結論というわけでは全然ないけれど。もしも3年前にアルバムを出していたら全く違うものになっていただろうし。3.11以降しばらくは、俺がやってる音楽は何事にも動じないしぶといもので、俺がいるクラブはみんなに楽しみだけを提供できる場なんだっていう、思い込みがないとできなかった。そういう言い訳をしないとアルバムは出せなかった。だから出さなかった。
――それはTASAKAさんにとって「言い訳」だったんだ。
DJ TASAKA:そう。つまりそれまで俺は、音楽は音楽で日常とは別のものだって思っていたんだよね。世の中は酷くても、クラブだけはそんなこと忘れて思い切り楽しもうって。だけど差別デモやら、極右政権やらでその日常は保てないところまで行っていて。それに対峙するにあたって、言い方が悪いかもしれないけど、音楽ぐらい、もしくはそれよりエキサイティングなことが街中にあった。そして自分はその渦中にいたから音楽どころじゃない時期もあったっていうのも正直な気持ち。
――私も反原発デモや差別デモへのカウンターに、勿論、怒ってるから行ったんだけど、好奇心はとてもあった。行っとかないとダメでしょって。
DJ TASAKA:俺もそういう面はある。ここがキワでしょ、キワを見ときたいでしょって。でね、3.11以降しばらくは、反原発デモに行くのも「ミュージシャンとしてじゃなく一人の市民として行かなければ」とか今思えばどうでもいいことを(笑)いろいろ考え過ぎてた。だからその時期はアルバムを作ろうって気に、なかなかならなかったし、作るとしたら「言い訳」が必要だったんだよね。
――それがアルバムを作ろうって変化していったのは?
DJ TASAKA:去年の秋ぐらいから作りたいって思って…。去年の秋の東京大行進のアフターパーティーの「BLEND is beautiful presents」の第一回、あのパーティーがデカい。今までのクラブとは違う景色が見えたわけ、目の前のフロアに。いろんな人がいた。男も女もLGBTも。コレをパッケージするのは俺だ!って。東京大行進に参加してた人が多かったから、昔からクラブに来てた人は逆にアウェイ感があったかもしれないから、まだ過渡期だとは思ったけど、誰もがアウェイで誰もがホームっていうね。凄く面白い混ざり方があった。そういう状況が目の前に現れると、4、5年かけてなかったレコードをかけたいって思った。こんな状況なら全部かけまっせ!っていう気持ちが、去年の秋からフツフツと生まれてきて。そういうモチベーションが曲作りにも出て、このアルバムになった。
――音楽は音楽で日常とは別って思ってたけど、音楽と日常が繋がっていった。
DJ TASAKA:そうそう。やってれば繋がるんだよね。でね、宇川(直宏)くんがね….、宇川くんとは結構古くて、俺が21才ぐらいの頃に知り会ってて、ずっと変容を見てくれてる人で。その宇川くんに、「ダンスフロア以外のところからそういう風にオーディエンスを獲得してきた人って、日本のクラブDJではTASAKAくんが初めてだよ」って言われたわけ。クラブのお客さんってクラブを行ったり来たりでそれ以外から入ってくる人はなかなかいないから。宇川くんはそれを「逞しいね~」って(笑)。
――ちょっとさかのぼりますが、TASAKAさんはイラク戦争の頃、渋谷などで行われていた反戦デモには参加してなかったそうだけど、2011年の3.11以降は参加している。その違いってなんでしょう?
DJ TASAKA:当事者としての意識が持てなかったから行動には結びつかなかったってことだと思う。それより自分の現場はクラブだって思ってたしね。それが3.11以降は当事者になった。原発が爆発して、子供と妻を一時避難させたりね。小さい子供を東京で育ててる俺だって被害者だ、って思ってた。それでデモに参加するんだけど、そこでいろんな人に会うよね。LGBTで子供を持つ意思を持たない人もいる。そういう人達が「子供を守れ」「未来を守れ」ってシュプレヒコールしてる。そこでいろいろ考えるよね。彼らが守ろうとしているものって、自分が考えてるものよりもっと大きなものなんじゃないかって。自分が本当に守ろうとしているのは何なんだ?って考えたり。
――人と出会うことで、自分のことももっと知ろうと思った。
DJ TASAKA:あとこれも個人的なことだけど、自分には、排外主義者からの差別の対象になる外国人が家族にいるというのもあって。そういう意味での当事者性ってのはあるんだけど、みんな各々が各々で当事者なんだって外に出るとわかる。いろいろな人に路上で出会って、そういうことに気づいた。そこで自分は何をするかっていう。全ての問題に関わることはできない以上は、自分で責任とれることぐらいはやりたいって思ったんだよね。そしたらなんか自由になっちゃって。批判を受けるのも自分なんだから自分がやりたいことをやろうって。自分一人なんだけど、一人じゃない状況を知ったわけだし、大丈夫だって。ちょっとわかりにくいよね(笑)。
――大丈夫です(笑)。音楽を作るってこともそういうことなんでしょうね。最終的には自分の責任っていう。
DJ TASAKA:生活の為の仕事を始めた、っていうのもデカくて。前は、音楽の会社に所属して、別に給料が出てたわけではないけど、それでもその環境では俺だけの責任じゃない部分も出てきて。コレやったら今後の活動の邪魔になるかな、とかね。横を見ながらやらなきゃいけない部分もあって。今はそれが一切ないからね。だからここまでズルむけたアルバムになった(笑)。
――考え方や生き方が音楽の中に入ってきた。
DJ TASAKA:今までは自分の考え方だけだったのが、いろんな考え方を知って、そこからまた自分の考え方が形成されていった。そしてアルバムができたんだよね。