今ライブハウス界隈で話題になりつつある気鋭のバンド、BLUE ENCOUNTの『NOISY SLUGGER』が6月26日にリリースされた。今作は、彼らの溢れ出る思いや衝動、そしてバンドの勢いなどを全て詰め込んだと言っても過言ではないぐらい、今のBLUE ENCOUNTが十分に表現された1枚で、リード曲『JUST AWAKE』は、歌詞の日本語と英語のバランスも絶妙で、サウンドの爆発力を含め今後のライブの起爆剤的な盛り上がりを生むナンバーとなるだろう。
今年は憧れのステージである"SUMMER SONIC.2013"に東京と大阪の両日出演することが決定し、より勢いを増していくであろうBLUE ENCOUNT。今回は、田邊駿一(Vo.&Gt.)に今作のこと、そしてこれまでの活動歴を振り返ってもらい、お話を聞いた。
お話しする事が大好きだという彼は、インタビュー中はとにかくよく喋って頂き、録音を止めてからも「そろそろ...」と言われるまで喋り続け、「止められなかったら、(ICレコーダー)4GB分ぐらいでも喋りますよ」と言いながら帰って行かれました。飾り気のない雰囲気の良さそうな人柄も含め、これが多くの人に愛される理由のひとつなんだと思います。(interview:やまだともこ)
熊本では天狗になる要素が多すぎたんです(苦笑)
(初めてお話するので、インタビュー前に世間話を10分ほどしてからのスタートとなりました)
「父に敬語をちゃんと使えと言われて育ったので、ほとんど熊本弁を喋らなくなっていたんです。上京して、田舎から出てきたことを舐められたくなかったというのもありましたし」
── メンバー4人とも熊本出身なんですか?
「ベース(辻村勇太)だけ横浜です」
── 今、上京して何年になりますか?
「4年です。上京して2年ぐらいベース以外の3人で一緒に住んでいたこともあって、その時は仲が悪くてホントにメンバーのことが嫌いでした(笑)。今は4人で飯を食ったり、音楽の話をしたり、まわりが驚くぐらい仲が良いんですが」
── バンドは結成して8年でしたっけ?
「9年です。ベースは上京してから出会っているので4〜5年の付き合いですけど。バンドを始めたのが高校1年生の時で、そこでたまたま軽音部に入ってしまったがゆえに、それぞれの進路が狂いだしたという感じもありますね(笑)。僕らが通っていたのは、熊本にある国立の高校専門学校で5年生まであって、卒業すると短大の資格がもらえてそこから東大の大学院に行く人がいたり、かなりの進学校だったんです。自慢じゃないですけど、僕は中学の時に勉強に目覚めて、3年の12月ぐらいには推薦で入学することが決まっていたんですよ。もともと小学5年生の時に7つ上の姉の影響でシェリル・クロウを聴くようになって、CDが擦り切れるぐらい聴いていたんですけど、中学に入った途端、勉強をする上で音楽は害毒だって思うようになり、勉強机に“音楽は毒だ”という紙を貼って勉強して」
── 振り切ってますね(笑)。
「その結果、すごく早い段階で推薦での入学が決まったんですけど、決まった途端一気に枷が外れてしまったんです。そこから入学の4月まで音楽もすごく聴いたし、映画が大好きなので1日中DVDを観ていることもありましたね。それで4月に入学して早々のテストで、こんなに出来ないか!? ぐらいにまで成績が落ちて、先生たちの要注意人物になったんです(笑)。部活はテニス部に入ろうと思っていたんですけど、ここでいろいろと変わってしまったんですよ」
── 何があったんですか?
「入部しようと思ってテニス部の部室に行ったらちょうどお休みの日だったんです。そしたら、隣の部室だった軽音部の人に“ちょっとおいでよー”って誘われて、行ってみたら何人かがそこにいて、気付けば入部を決めていて。それで、学祭でライブをやってみようと組んだのがBLUE ENCOUNTなんです。あとあと聞いてみたら、メンバーのほとんどがテニス部に入りたかったらしいんですけど(笑)」
── ということは、結成当時誰も楽器を触ったことがなかったんですか?
「ドラムの高村はジャズドラムが大好きでやってましたけど、ギターも全然弾けなかったし、僕もギターを弾いたことがなかったし、ベースもまだまだでした。バンドを組んだ時は、僕はギターは弾かずにハンドマイクで歌っていて、初めてコピーしたのがGLAYとかBUMP OF CHICKENで、学園祭で演奏したらすごく盛り上がったんです。それで、“俺らいけるんじゃないか!?”と思い始め、地元のライブハウスに出てみようという話になったんです。地元のライブハウスが、毎週土日の昼に高校生が出られる“ロックンロールハイスクール”というイベントをやっていて、チケットは1枚500円でノルマはありましたけど、初ライブの時に頑張って友達に声をかけて会場をパンパンにしたんです。その時に今でも大好きなELLEGARDENの『ジターバグ』をコピーしたら会場がモッシュの嵐になって、また“俺らいけるな!”となって」
── オリジナルの曲ではないんですけどね(苦笑)。
「そこからオリジナルを作っていくようになるんです。それで、“コンテストに出てみよう”と、地元の島村楽器が主催している“トレコン”という音源を審査してくれるコンテストに応募したらお店賞みたいな賞をもらって。『冬〜song of winter』っていうオリジナルの曲なんですけど、日本語ですごくキャッチーで熊本時代はライブでよくやってましたね。そこで、さらに“いける!”となって、もっと大きい大会に出ようと、ヤマハさんがやっていた“TEENS' MUSIC FESTIVAL”に出たら、熊本地区で優勝して。熊本では天狗になる要素が多すぎたんですよね(苦笑)。その後、福岡のZeppで九州大会があって、良いステージが出来たからこれは行けたなと思ったら、結果発表で箸にも棒にもかからず、初めてパッキンと心が折れたんです」
── 初めて挫折を味わったわけですね。
「その年の“TEENS' MUSIC FESTIVAL”は、今のircleとか、阿部真央、cinema staff、SUPER BEAVERとかが出演していて、ビーバーが優勝したんです。でも、大人の人に“賞を取らなくてもお声がかかることがあるから待ってなさい”と言われて、半年待ちましたけど連絡はなく、そこで第二のパッキンがあり、ようやく勉学に勤しもうと思い始めたんです。と言っても、すでに高校3年で、友達からも学校からも自分たちが置いていかれてるということに気付いたんです。現実に引き戻されたというか。同級生は僕たちを見て鼻で笑ってましたし、先生からも問題児に見られていたし。唯一担任の先生だけは“お前の音楽は良いから続けても良いと思うよ”って言ってくれていたんですけど、その言葉さえもプレッシャーになって、気付けば学校は休みがちになり、僕はラスト1年を残して辞めることにしたんです。他のメンバーはなんとか食らいついて卒業しましたけど。それで、彼らが卒業する時に進路の話になって、音楽は辞めるんだろうと思っていたんですけど、バンドを続けるという選択をしていて。当時のベースは一個下だったので離れるってことになっちゃったんですけど、残った3人で東京に行こうという話になって、もちろん親には“就職もせんと何フラフラするんだ”と大反対されましたが、3人でない知恵を絞った結果音楽の専門学校に入ろうと、親に頼み込んで3人で上京して、ベースに出会ったんです。そこから今の4人で活動を始めましたが、やっぱり思っているほどうまくはいかず、昨年まではもうバンドを辞めたいって思ってました。ライブを年間100本ぐらいやらせてもらっていましたが、やれどもやれども全く身にならないし、お客さんは増えないしCDも売れない。相変わらず親に迷惑をかけてますし。だから、昨年リリースした『HALO EFFECT』で結果が見えなかったら辞めようと言っていたんですけど、そこから一気に加速して行ったんです。ありがたい話で、今年はフェスの出演も決まりました」
ライブバンドというよりは、ライブ好きバンドです
── 先日のegg manでのライブ(6月15日)で、“ちょっとフライングしますけど”と言って“SUMMER SONICへの出演が決まりました!”って発表してましたね。
「高校生でBLUE ENCOUNTを組んだ時に、夢をいっぱい掲げた中で、“SUMMER SONIC”はひとつのデカイ通過点にしようねって言ってたんですよ。今年ありがたい話で東京と大阪の両日出演させて頂くことになり、出演が決まったとお話を頂いた時は嬉しくて涙を流すかなと思っていたんですけど、これは泣くところじゃねぇと思ったんです」
── ゴールじゃないというか。
「始まりなんだなって。僕らはすごい所に立ってしまったんだなって」
── プレッシャーのような感じですか?
「プレッシャーに近いけど、高揚感もすごい。すごく嬉しかったのは、これまで僕たちのことをバカにしていた友達が“正直ここまで行けると思ってなかった。おめでとう”って素直に言ってくれたり、少しずつ自分たちがやってきたことが肯定されているんだなって思いました」
── egg manのライブでも、出演の発表を聞いたお客さんがすごく喜んでいるところを見て、なんだかグッと来てしまいましたよ。
「“SUMMER SONIC”の出演が決まったっていう涙じゃなくて、みんなが喜んでくれたというところでちょっと泣きましたね。ステージに立っているとしても、お客さんとは同じ目線でいたいし、一緒に良い景色を見に行こうぜというのがBLUE ENCOUNTなので、あのライブで出演の発表をしたかったんです。ついてきて良かったよーって言ってもらえるようなバンドになりたいんです。あの時は、本当は2日ほど発表をフライングしていたんですけど、“Twitterとかに書かないでね”と言ったら本当にみんな守ってくれたし、それも嬉しかったです」
── バンドとお客さんとの信頼関係がちゃんと出来ているんですね。田邊さん自身、ライブのMCで話している感じと、こうやって今話している感じとではそんなに変わらないですしね。その裏表がない感じが、お客さんと良い関係を築けたのかもしれないですね。
「普段からこんな感じなので、ステージに立っても変わらないんです(笑)。昔はボーカリストとしてもかっこつけていて、カリスマとはなんぞやと変なボーカル像を作っていたんですけど、演じているということになるから、ライブをやっていてもしんどいんですよ。それが自分の首を絞めていて、ライブをやりたくないという時期もありましたが、今は変に肩肘張らず、普段の感じで行こうってなっていって。少しぐらい隙があるほうが取っつきやすい部分もあると思うんです。それで、MCでいつもの感じで話していてお客さんにクスッと笑ってもらい、心をちょっとでも開いてもらえたら、その後のお客さんのノリも変わりますし。もちろん、笑える中で、お客さんにとってどこかグッと来る言葉は大事だと思っていて、意外と良いこと言うんだーという存在でいたいですけど。最近MCで“やれる範囲でがんばろうよ”って言うと、みんながいろんな解釈するんです。いろんな受け取り方があるから、言葉のチョイスもけっこう考えてるんですよ」
── ライブも曲だけでなく、MCでも惹きつける感じはありました。
「そこは1本1本のライブで大事にしてます。ライブをやる土地土地で思っていることも違いますし。ただ、もともとライブが好きなんです。ライブバンドというよりは、ライブ好きバンド。ライブをやることで、次の課題が見えることもありますし、自分たちが次のステージに行くためにはということも毎回考えていて、お客さんがライブに来てくれたら、次は手を挙げさせたい、そしたら一緒に歌わせたい、そしたらCDを買わせたい、そしたらまたライブに来させたいとか、それなりにいろいろ考えているんです」